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Start!TsuboLog 喜業家/起業家スタート

最終更新: 2019年6月25日


初めまして、喜業家の坪田康佑です。

比較的、多様性のある人生を歩んで参りました。

今、少し時間に余裕のある状況になったところ、ブログかメールマガジンの復活の声をかけてもらったことをきっかけにWEB及びBLOGをリニューアル致しました。

さて、自己紹介的なストーリーです。

小学2年生(1989年)の時に友人がなくなりました。

彼の眼が目の見えない誰かに角膜移植され、眼が見えるようになったという話をきいて、【医師】に憧れていました。

しかし、成長していく段階で、医師よりも角膜が不足している状況で、眼の見える人々が増えていかない状況が日本にあるということを知った時に進路に悩みました。

小学校6年生(1993年)の時にアニメでやっていた武田鉄矢原作の【お~い竜馬!】から【坂本龍馬】【福沢諭吉】にはまり、新しい事業・ルールを変えていく【起業】というものに憧れました。

その後、中学3年生(1996年)の頃に学校の課題で、社会課題をテーマにするレポートを提出する際に、3年ぶりに小学生時代の夢を思い出し、アイバンクセンターの職場見学をさせて頂きました。

小学生時代よりは、角膜を海外から輸入する方法が生まれていることがわかりましたが、皆保険制度で計画経済の日本国内では、システムが機能していないことも分かりました。そのため、働いた方々はライオンズクラブからの寄付金かボランティアでなりたっていることがわかり、医師に至っては手術の責任とリスクをとって活動していることが分かりました。中学生の社会課題のレポートとしては、この時点で終わるものですが、私の関心は止まりませんでした。

成績が悪くても、何とか高校に進学した私ですが、私の関心を刺激するかのように脳死問題や移植法に関すること、クローン羊ドリーの話題がテレビを騒がしていたので、中学校3年生に気になった社会課題【医療システムの綻び】は、反抗心が強くなっている高校生には興味が高く、何故かタブー視されている医療とビジネスの繋がり、それに反して麻雀の点数票の様な国民皆保険制度と医療点数に関することに興味が広がっていきました。(同じ時期に麻雀及び雀荘も覚えました(笑))


高校生で留年 レールから外れる

文化祭や部活にハマったり、医療に患者側として関わることになったりして、高校の進級で挫折し、同じ学年を繰り返しました。

(はい。ここらへんから、完全に普通のレールから外れていきます。。)

ただ、悔しかったので、当時は「同じ階に通っていたら、クラスメイトが全員変わっただけ、俺は俺で俺の道を進んでいるんだ。」と訳の分からない言い訳をしていました。

実は、今でも言い訳をしていまして、「高校時代をもう1年やりたくなっても、いくら払っても出来ない。あの甘酸っぱいような、青臭いような、青春時代を一年余分に味わえたんだぜ!」と言い換えています。

留年したお陰で、大学進学が2000年予定のところ、2001年になりました。

既に医療保険マニアになっていた私としてはとっても面白い状況で、新しい【介護保険】という制度が2000年10月から動きだし、医療と介護を切り離してコスト計上していくことが始まる年でした。

昔同級生だった人間が既に進学しているからこそ、大学の授業を聴講させて頂く機会に恵まれ医学部に行って医療経済を学ぶか?経済学部に行って学ぶか?進路を理系か文系か悩んでいたそんな時に、慶應義塾大学に「医療」「介護」「ヘルスケア」三分野横断的にリーダーを育成する看護医療学部が設立されることを知りました。高校卒業まで4年間かかったからこそ得たチャンスであると逆に考え、慶應義塾大学看護医療学部へ進学致しました。

【坂本竜馬】好きなので、竜馬の師匠である【勝海舟】が【福沢諭吉】と仲が悪いのは気になっていましたが、【福沢諭吉】が、お稲荷さんは、本当にいるのか調べるために、小便をかけた幼少の頃のストーリーから、大学卒業の年齢(23歳)の時には慶應義塾を起業し、新聞の四コマ漫画やミスコンから女性学・図書館学等を切り開いた人であるということから、分野横断的にリーダー育成をする新たな学部ということにワクワクして看護医療学部に進学しました。

また、医療経済を学んでいく上で計画経済である医療は、政治を無視することが出来ないもので、政治でルールが変わっておりました。高校生であった私は、単純に政治は【人数=政治力】だと考えていたので、医療分野の中で最も多い資格職であることと介護分野にも直接影響力がある看護師の資格が取得できるというのは、ラッキーとも思っていました。

その時の私は、男女比率をそこまで意識しておりませんでした。

が、実際に入学してみると約90%が女性。男子高校を4年間も通っていた私には異世界に入ったことを知る2001年4月でした。

男女比率だけではなく、進学動機が異なる方々が多く、看護師になりたい方々や医学部に合格したが学費の関係で進学してくる、医学部第一志望で第二志望の慶應大学看護学部に進学してくるという側面が強かったことに驚いて。正直自分の中で上手に同期と付き合えない自分がいました。そんな自分とも長い付き合いをしてくれている同期は、日本の看護師ではなく起業家になったり、海外で活躍していたり新しい分野を開拓していく人々でした。

同期だけではなく、一部の教員以外は創設時の想いとして三分野横断的リーダー育成と書いていながら、【看護分野】におけるリーダーしか意識していない教員がいることがショックでした。ショックを受けた中に、自分が世界を知らないからだという学びもあり、途中から【看護】というものを全く知らずに進学した人間だったので、全ての教員の部屋にお邪魔して【研究内容】【教員としての想い】を聞きに行くという活動をしはじめました。正直に、視野が狭かった学生の私をいい意味で壊してくれて、ちょっと看護という紐にひっかかった瞬間でした。


この【看護】という紐を切り離せるようになる、小学生の頃から関心のあった【医療】という分野を切り離したり、置き換えたりして世の中全体像をみることができるようになるのは、30代を越えて創業法人の譲渡や売却の経験をしてからでした。(一番最初に起業したビジネスコンテスト受賞発表資料はnoteにてダウンロードできます。→)

完全に切り離して考えることも出来るようになって、他分野でも自分の経験が活かせることや仕事のオファー、ヘッドハンティングの打診等を体感したことからやっと【エンジェル投資家】【喜業家】と名乗り始めました。