【看護】第二次世界大戦と看護・コロナワクチン接種の麻痺労災認定などなど

ごきげんさまです。感護師つぼです。

感護師つぼの看護ニュース何卒よろしくお願いいたします。

1番目:小田急線刺傷事件の現場に居合わせた看護師さんが、即座に必要な物品を判断して求め、救急看護を実施されていたのですね。

2番目:コロナワクチン接種の副反応による麻痺が労災認定になりました。韓国の事例ですが、行政が認定するのは世界で初めてのことだと思うので、今後のワクチンの副反応の責任を行政がどこまで負担するのか?が次の論争になっていきそうです。

3番目:看護学生・看護師が活躍する場面として戦争がありますが、改めてそのような活躍の場はこない未来を願う。看護の大先輩たちのニュースです。


1)小田急線刺傷事件での看護師の手当

2)コロナワクチン接種の麻痺 労災認定

3)看護と戦争

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1)小田急線刺傷事件での看護師の手当

https://news.yahoo.co.jp/articles/568a3794b6a2e089418328b62137944265a7a40c

「誰か布持ってる人います?わたし看護師なので」  声の主は20代の看護師の女性。JNNの取材に当時の状況を証言しました。  「私が何とかするしかないと思って、無我夢中で。私が被害者女性の手を握って、もう大丈夫だからね、頑張ってね、深呼吸してねって」(現場に居合わせた看護師)  捜査関係者によりますと、対馬悠介容疑者(36)は6号車から乗車すると、すぐに隣の7号車に移動。ドアの近くに立ちました。数分後、突然、トートバッグから包丁を取り出し、向かい側のシートの端の席に座っていた女子大学生を刺し、重傷を負わせたのです。


2)コロナワクチン接種の麻痺 労災認定

https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-southkorea-liability-idJPKBN2F714L

[ソウル 6日 ロイター] - 韓国の勤労福祉公団は6日、新型コロナウイルスワクチンを接種して麻痺症状が出た准看護師に対して、初めて労働災害(労災)を認定し、政府による補償の対象とすることを決めた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c070a6f443ca8408213a1d134c94de363e5d7306

この40代の准看護師は京畿道内の病院で勤務していた。3月12日に英アストラゼネカ製ワクチンの接種を受けた後、両目でものが二重に見える両眼複視と、四肢まひの症状が現れた。免疫反応の異常により起こると考えられる急性散在性脳脊髄炎と診断された。

https://www.nna.jp/news/show/2223044

韓国雇用労働省傘下の勤労福祉公団は6日、英アストラゼネカ製の新型コロナウイルスワクチンを接種後に四肢まひとなった看護助手Aさんについて労働災害を認定したと明らかにした。新型コロナワクチン接種による後遺症では、初の労災認定となる。 Aさんは京畿道の病院に勤務し、…


3)看護と戦争

https://www.kobe-np.co.jp/news/awaji/202108/0014581108.shtml

兵庫県南あわじ市に住む元養護教諭、武田末子さん(96)の戦争体験を続ける。召集により、1944(昭和19)年6月から、日本赤十字社救護班の看護婦(現在の看護師)としてフィリピン・ルソン島へ。米軍の空襲が激しさを増し、病院部隊は負傷兵とともに転進を続けた。翌45年3月、武田さんは二十歳になったが、節目をかみしめる余裕などまるでなかった。

https://www.asahi.com/articles/ASP8564K9P82TIPE010.html

8月9日、長崎に原爆が投下されて76年になる。長崎市で開かれる平和祈念式典で、同市の岡信子さん(92)=旧姓・百田=が過去最高齢の被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げる。被爆時の凄惨(せいさん)な光景や被爆者に向けられた偏見を、ずっと胸の内にしまってきた。「残された者の務め」と、少しずつ語り出したのはここ数年のことだ。

https://www.chunichi.co.jp/article/307752

「戦争の記憶を伝え続けたい」という書きだしで始まる手記が、昨年十二月に亡くなった愛知県犬山市の中川ハルエさん=享年九十七=の遺品から見つかった。七十六年前、原爆が投下された長崎市で看護師として働いた経験を「生(いき)地獄」などとつづっていた。手記を見つけた長女赤星たつ子さん(69)は「これほど悲惨な体験をしていたなんて」と驚く。 (水越直哉)

https://www.excite.co.jp/news/article/Jiji_2021080900174/

「私たち被爆者は命ある限り語り継ぎ、核兵器廃絶と平和を訴え続けていくことを誓います」。長崎市の平和祈念式典で、「平和への誓い」を読み上げた被爆者の岡信子さん(92)=長崎市住吉町=は、看護学生として救護活動に尽力した当時の体験を語り、核なき世界の実現を訴えた。

https://www.saga-s.co.jp/articles/-/721018

当時、16歳の私は、大阪第一陸軍病院大阪日本赤十字看護専門学校の学生で、大阪の大空襲で病院が爆撃されたため、8月に長崎に帰郷していました。長崎では、日本赤十字社の看護婦が内外地の陸・海軍病院へ派遣され、私たち看護学生は自宅待機中でした。8月9日、私は現在の住吉町の自宅で被爆して、爆風により左半身にけがを負いました。

https://mainichi.jp/articles/20210810/ddl/k40/040/181000c

長崎原爆の日の9日、小倉が投下第1目標だった北九州市でも原爆や平和について考える行事があった。小倉北区の勝山公園で毎年開催される「原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(市原爆被害者の会主催)は、九州に上陸した台風9号の影響で中止されたが、看護学生が雨の中「平和の火」をリレーしたり、中学生がオンライン討論会で意見を交わしたりした。【奥田伸一、浅野翔太郎】

https://www.kobe-np.co.jp/news/awaji/202108/0014578420.shtml

兵庫県南あわじ市に住む元養護教諭、武田末子さん(96)にとっての太平洋戦争は、激戦地フィリピン・ルソン島にある。傷を負った兵士を手当てする看護婦(現在の看護師)として赴任し、戦況の悪化に伴って山地を逃げ惑った。「あすは自分たちがやられる。そう覚悟しました」。戦後76年の夏、武田さんが語る言葉に耳を傾けた。(上田勇紀)

https://mainichi.jp/articles/20210809/k00/00m/040/049000c

被爆当時、看護専門学校生だった岡さんは爆心地から約1・8キロの実家で被爆。ガラス片が肩や足に刺さる大けがをしながら、被爆者の救護所になっていた新興善国民学校に動員された。救護所は凄惨(せいさん)を極めたが、痛む足をかばって不眠不休で働き続けた。

https://www.jiji.com/jc/article?k=2021080900174&g=soc

「私たち被爆者は命ある限り語り継ぎ、核兵器廃絶と平和を訴え続けていくことを誓います」。長崎市の平和祈念式典で、「平和への誓い」を読み上げた被爆者の岡信子さん(92)=長崎市住吉町=は、看護学生として救護活動に尽力した当時の体験を語り、核なき世界の実現を訴えた。

https://kahoku.news/articles/20210807khn000016.html

石巻市北村の自宅に私設の「平和資料館」を備えている元高校校長の佐々木慶一郎さん(74)方で「日赤従軍看護婦と太平洋戦争」と題した展示会が開かれている。兵士のために殉職するなどした日本赤十字社の従軍看護婦と、新型コロナウイルス感染症対策に尽力する医療従事者の「高い志」に重なる部分が多いことから企画した。佐々木さんは「太平洋戦争開戦から80年。少しでも平和の大切さを伝えられればと思う」と話している。


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